人生100年時代をイキヌク子供に必要なのは、良いところを伸ばす教育か。弱点をなくす教育か?

「数学はできるんですけど、国語の点数が悪いですね」とか「体育の授業は好きで熱心ですが、他の科目にも同じくらいの情熱を持ってくれると良いですね」などと、自分が学生時代に先生に言われたり、我が子が先生に指摘された経験がある人も多いかと思います。

日本の教育は子供の良いところや個性を伸ばす、というよりも、弱点をなくす教育。何かの科目だけで飛び抜けてAの成績を取り、他の科目がCやD評価よりも、まんべんなくB評価を取ることの方が良しとされる、そんな傾向があると思います。

日本文化と日本人に関する多くの著作を残したハーバード大学のエドウィン・O・ライシャワー氏は著作の中で、戦前の日本では「教育は何よりも 、近代国家に必要とされるさまざまな熟練技能を習得できる従順で有能な国民を訓育するための、政治の一手段とみなされた」と書いています。つまり、真面目にコツコツと工場で働く労働者を育てる、という国の意図を持って、我慢や忍耐、集団主義、連帯責任に価値を置く教育システムになっています。強い個性で、全体の輪を乱すスペシャリストを育てるのではなく、ジェネラリストを育てる教育。

これからは人生100年時代。2045年にはシンギュラリティ(技術的特異点。人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、人間の生活に大きな変化が起こるという概念)に達すると言われる中、これからの子供たちに必要なのは、ジェネラリストとしての能力なのか、それとも何かに際立った能力を持つスペシャリストなのか、カナダの教育環境を見ながら、考えてみたいと思います。

専門バカが、これからの時代をつくる?

堀江貴文氏は著者「すべての教育は洗脳」の中で、「これからの時代は、何の変哲もないオールB人材よりも、際立った特長を持つ「専門バカ」の方が生き残りやすくなる」と書いています。

また、2030年には「今の子供達の65%が現在存在していない職業につくだろう」と予想されており(マッカーサー財団デジタルメディア&ラーニング・コンペティション共同ディレクターのキャシーN.ダビッドソン氏)、実際に、既に起こっている現実として、昔にはなかったYouTuberであったり、プロゲーマー、仮想通貨投資家などは、その例に挙げられると思います。

これらの仕事に就くには、何でも満遍なく勉強し、良い高校や大学を卒業して、そして一流企業に就職、という流れではなく、自分がその分野が好きではまり、どんどんとノメり込んで行く中で、周囲を圧倒する能力を身につけ、それが結果として本人の収入源となっている、というパターンが多いかと思います。

また、これらの新しい職種に限らず、勉学に秀でた人でなければ就けない職業と言われている弁護士や会計士、と言った仕事でも、現在、大きな変化が起きています。たとえば、トロントで監査法人勤務の友人によると、以前は、会計士に質問をしなければ全く分からなかった会計に関わる知識が、ネット上に具体的な情報や事例、ノウハウが溢れることにより、今では会計士への相談回数が減り、自分でネットを検索しても、どうしても分からない、かなり専門的なことのみ質問されることが多くなった、と言っていました。

となると、そんなに単純では無いと思いますが、会計という専門分野であったとしても、会計や監査全般を満遍なくそこそこ理解している会計士へのニーズは減り、会計や監査分野の中でも、特定の専門分野への深い知識がない限り、厳しい時代になってきていると言えるかと思います。

では、どんな教育方法で、子供をスペシャリストに育てるのか

カナダでも、子供が小学生など低学年のうちは、子供の強みを育てる、というよりも、基礎教養を積むため、日本と同様に国語や数学から体育に音楽の授業まで、広く授業が行われています。

ただ、授業とは別に、自己肯定感を高め(自己肯定感については、「そこまで褒める?自己肯定感を育むカナダの教育」の記事をご参照下さい)、子供の個性や強みを伸ばしている方法の一例としてCharacter Assemblyがあります。Character Assemblyとは生徒の性格や個性の良いところを学期ごとに、全校生徒の前で評価する集まりです。子供を表彰する項目は、Fairness, Caring, Respect, Responsibilityなど複数にわたり、必ず、ではありませんが、多くの生徒が卒業までに、何らかの賞をもらいます。当日は親も体育館に集まり、先生に名前を呼ばれた生徒が登壇。誇らしげに賞状をもらい、記念撮影。その写真や表彰状を、自宅に持ち帰り、部屋の目立つところに飾ることで、子供のモチベーションが上がり、家族としても自慢の子供となります。この仕組みのポイントとしては、誰かと順位を競って獲得する訳ではなく、本人の努力であったり個性を評価しているところにある。自分を受け入れてくれている、自分は常に見守られている、という感じが、自信に繋がっている。

また、もう少し学年が進み、中学生や高校生になれば、卓越した分野があれば、共同執筆者の塩原さんが書いたように、公立でも音楽や数学、コンピューターを深く勉強する専門の学校があるので、そこで子供の適正や能力に見合った教育を受けることができます。(参考:ギフティッド・プログラムだけじゃない! カナダのスペシャル・エデュケーション・プログラム

未来を見据えた新たな授業の必要性

先般、トロントでベンチャー企業の支援を行なっている団体MarSでAIプラットフォームのビジネスを行なっているMichael Priddis氏の講演を聞いた際に、Priddis氏が「現在の高校や大学の教育内容では、時代の変化のスピードに全く追いついていない。教育こそ、これから先に起こり得ることを見越して、毎年、シラバス(授業計画)を大胆に更新していく必要がある」と言っており、大変強く共感しました。単純に過去の事実を記憶したり、手っ取り早く知識を得るだけであれば、ネットで検索をした方が早く、そして広く知ることができます。これからの時代の必要なことは、『子供に授けたい「イキヌキリョク」とは?』でも書いた5つのチカラを見越して、国が先導をとり、未来を生き抜ける子供たちになるような授業や体験を促していくことが必要だと思います。

これからの教育には、学校すらいらない?

人生100年時代をイキヌク子供を育てるもっと先進的な事例としてはMITメディアラボの所長 伊藤丈一氏が著書「教養としてのテクノロジー」内で「アンスクーリング(Unschooling)」というムーブメントを紹介しています。少し長くなりますが、引用します。

“アメリカで起こりつつある「アンスクーリング(Unschooling)」という新たなムーブメントを紹介します。これは、いままでの「教育」に代わる「子どもの育て方」を実践する活動です。アンスクーリングは、日本語に訳せば「非学校教育」という意味になるでしょうか。その名の通り、学校教育に頼らず、学校そのものが一切存在しないかのように子どもを育てるのが「アンスクーラー(Unschooler)」と呼ばれるコミュニティです。

“アンスクーリングには、「セルフディレクテット・ラーニング(自発的な学習)」という哲学があります。その哲学のもと、子どもが何を学びたいかをすべて自分で決めて、どのように学ぶかも決めます。すべて自分で決めるというアイデアです。どこに情報があるのか、どこを探せばいいのか、どれがいちばん良い答えなのかなど、親が「答え」を子どもに示すのはかんたんです。でも、アンスクーラーは決して「答え」を教えません。子どもたちには、高い自主性が求められるのです。”

アンスクーリングでは、何を大人に手伝って欲しいのか、子供たちから自分で言わせることが大切だと考えています。「何が教育的か」「何が教育的ではないか」という定義そのものをなくして、評価のない自由に中で、子供が自分の行動を通して成長するスタイルです。

“日本では「モンテッソーリ教育」や「シュタイナー教育」が比較的に知られているようですが、それらとアンスクーリングとの違いは、子どもの「自由な領域」が事前に定義されているかどうかにあります。アンスクーリングは、どこまでが自由な領域かの定義はありません”

私が感じるに、このアンスクーリングの一番のキーは、「自分の好きを伸ばす。伸ばす方法を習得する」ということに尽きると思います。冒頭にも書きましたが、これからの時代、記憶や情報整理など、AIが得意とすることはコンピューターに任せ、人間にしかできない、もっと言えば、その人しかできない、ことが価値を持つことは間違いありません。「何でも得意な子供になってほしい」と願う親の気持ちが、子供を褒めることよりも、ダメなところ注意する方向に行くことも多いかもしれません。でも、自分.の好きなことや得意なことを極めて、人生を全うする。そんな素敵な生き方を我が子にしてもらえたら最高だと思いませんか?